テレビとか見てる

「そもそも敵が巨大化とかするフェーズに追い込まれる前に、数でゴリゴリ押して戦えば主人公サイドを窮地に追い込めるではないか!」と思ったら既に1994年に遠藤憲一カクレンジャーに対してやってた。番組進行の都合上、最終的にはうまくいかなかったみたいだけど、そういう積極的な姿勢は好きやな。

 

●あいのりAsian Journey

Netflixでやってる「あいのり」があんまり面白くないと感じてしまった。その理由を考察すると、あいのりは「恋愛することが至上命題であり、それ以外は放置してるという感じがする」からあんまり面白くないのかもしれない。「出てくる人はどういう人で、どういう背景があって何のために恋愛をしているのか」という感じで説明されるとすごくすっきりするのになー。一方、テラハは「俺はこういう人なんだ。こういう考えがあるんだ。ここではこういうことをするために来たんだ」「俺は役者だ。役者には情熱が必要だ。俺は死ぬほどの恋をしにハワイに来たんだ!」といった、おのおのが良くわからないスタンスで活動しており、その目的達成するまで(しない時もあった気もする?あんまり真剣にみてない)をゆるめに追いかけてくれるあたり、あいのりよりはまだスカッとする。

 

●自転車のパンク修理

自分のものじゃない自転車修理はやる気が起きないからあかん。正しい整備方法、工具、時間および、それを買うお金があれば誰でもできる作業だけど、やる気はお金では買えない。自分の所有物でないものにやる気というのはどこからも降ってこないし、そんなもんにプライベートの時間を割く必要もモチベーションもないよな。

 

●知識の限界

私たちは、言語化されたものを正しく理解し、それを正しく実行した場合、ある程度のレベルにまでは成長できる。しかし、それ以上に成長したい場合は、言語化できない何か - センス、感性、直感力、カリスマ性、etc... - が必要である。分野によって必要なものは異なるが、「言語化できない」という点は共通している。

言語化できないそれらを伸ばす・育てる必要条件として、幼少期にどれだけ原体験を蓄積し好奇心へ変えることができたか、が重要であると私は思う。しかしながら、そのような感覚を身につけるのに私のような成人は歳をとりすぎているのだ。かぁぁぁぁなぁしぃぃぃぃぃみぃのぉぉぉぉ むこぉぉぉぉぉぉへぇとぉぉぉぉぉぉぉぉぉ