トレーニー研修の時期であった。

彼らからは前向きなやる気やら、まだなにもできなくてもどかしそうな感じやら、その割にゆるゆるな時間感覚やら、そういった様々なものを見ることができた。「とうとう新人を教育するフェーズに突入してしもたかぁ」と、年月の経過を実感する。今のペースでいけばゆくゆくは、といったビジョンについてはあまり深く考えないようにしているが、今の年齢で新入社員を教育する立場にあるということで、私は社会的に認められたのだ、というような錯覚に陥る。このままいっても案外ダイジョーブなんだぜ、という謎のささやきのようでもある。ただの巡り合わせの結果、今の場所に立っているというのが正しいのだろう。

 

心理的に殴られる

一方、私がこの数年間で頑張って消し去ってきたものをゴミ箱から取り出されて『はい!これ落としてたよ!』とまざまざと見せられるような気分、アタマを後部からドンッと殴られるようなはずかしい気分でもある。無邪気に殴ってくるのは今の彼ら、つまり他者を見て、今の自分がどこにいるのか、その立ち位置を確認し直さないといけない。学生時代からは立ち位置も色々と変わった。かつて私はどこらへんに向かおうとしていたのか、今の彼らを見た今の私は何を感じたか、これからどうして行きたいのか。

 

●ゼネコン

かつての私はエンジニアとして働きたかったはずなのだが、今の私はまるでゼネコンの者みたいだ。

私自身が何か新しいモノを直接作るのではなく、モノが作られる工程などを管理をする側に回らされている気がする。現場で働く色々な人たちがどうすれば気持ちよく働けて良さげなモノをコンスタンスに作れるのかねぇ、と考えたりするのが業務内容(のひとつ)なので、そこそこやりがいと責任のある仕事だが、仕事の対価はそのやりがいや責任に対して支払われているのではなく、上司と現場の間にピンと張られたロープの上をキチンと綱渡りできるパフォーマンスにしか払われていないのかなぁと思うと、今の私は実にショボいしショーもない。

 

●どーすんの

・やっぱし発言じゃなくて行動で変えないとダメで、これがほぼ全て

・現在も未来も変わるし、その時流にキチンと乗れないとあかん(時代を切り開く能力は私にはない)

・他人を変えることはできない、自分の性分を変えることもまずムリ。ただし、時間と生活習慣は制御できるパラメータだと考える

・あそこらへん、という落としどころはキチンと手で掴んでいるつもりではある