20260829

色々とありまして。ちょっと調子を崩してしまい、先生から中程度のうつの状態だと診断書され、今は治療中となっている。薬を飲み始めてから劇的に元気になった、ということはまだない。
気分は相変わらずひくいところにいる。

 

ただ、以前のように底まで落ちていく感じは少し薄くなった気もする。その代わり、とても眠い。

 

夜は21時半くらいに寝て、朝5時半くらいに起きる。
8時間寝ているので、睡眠時間だけを見れば、むしろよく寝ているほうだと思う。それでも昼間に眠い。通勤中にも眠るし、昼休みにも眠る。休日なら、ちょっと横になったつもりが、そのまま眠っている。また、眠気以外にも薬の副作用らしいものもいくつかある。

 

先日の診察で先生にそのことを話したら、先生もそこを気にしていた。今のところ薬は変えず、もう少し様子を見ることになった。
薬の効果を判定するにはもう少し経過をみる必要があるらしい。それまでにどのくらい回復するか、副作用がどのくらい続くかを見て、必要ならば薬を変えるとのこと。

 

「もし副作用が続くようであれば、副作用の少ない新しい薬もありますよ」とも言われたが、今回は様子見。


制度も使うことにして、提出するための診断書をお願いした。

 


こうして書いてみると、ずいぶん病人らしい生活をしているけれども、仕事には行っているし、ご飯も食べる。家では家族との時間を過ごしている。

 

 

最近、職場の人間関係についても、少しだけいろいろ考えた。
人と人が働いている以上、誰と誰が仲がいいとか、誰が誰を苦手にしているとか、そういうものは仕事の端っこから普通に入ってくる。誰かのちょっとした態度が気になったり、妙なことを言われた気がしたりする。「別に気にしなければいい」と思うのだけれども。

 


それと、最近改めてわかったことには他にもいくつかあるのだけれど、その中でも意外だったのは、自分というものが思っていたよりずっと身体に引っ張られているということだった。


こうなる前は、精神は身体からまったく独立していて、意思でどうにかするものだと思っていた。実際には、眠いと考えられないし、疲れると人に優しくできない。気分が落ちると、昨日まで普通にできていたことが急に面倒になってしまい、手につかない。何も考えたくなる。当たり前のことなのだろうけれど、自分で体験してみるまで、あまりよくわかっていなかった。

 

 

そのうち少しずつ、元に戻るのかもしれない。あるいは「元に戻る」というより、今までとは少し違う自分になるのかもしれない。そのあたりはまだわからないけれども。

20251220

最近やりたいことは、外に出て行くものばかりだ。海鮮丼を食べにいく、気になっている異国料理屋にいってみる、近距離サイクリング、銭湯など。カフェ巡りもか。

けれど、移動手段がなかったりすると、結局家にいて、掃除や洗濯を優先してしまう。そして一日が終わる頃に、「あれ、いつもと同じだな」と思う。

勤務する日か、そうでない日か。

その違いだけで日々が区切られていて、どちらに身を置いていても、休息というものが一体どこにあるのかがわからなくなってきた。毎日割と長くは眠っているのだけれど。

 


「大きな問題は、たぶん何もない。ただ、小さな引っかかりが重なって、呼吸が少し浅くなっている。」そんな時期なのだと思うことにして、これ以上は深く考えない。今日はもうおしまい。

20251208_おぉ!寒っ

◾️沈む日

毎年、この季節になると、きまって体が沈んでいく日がやってきます。

日照時間が短くなるからなのか、空気の冷たさのせいなのか。

ここ数年のわたしの冬は、まるで深い穴にストンと落ちていくようで、マイナスの自分からゼロの自分に戻るまで、今回は一週間以上かかってしまいました。

 


 

 

 

 

■そのときの自分

気分がどうにも上向かなくて、些細なことにもイライラしたり、逆に何も感じなくなったり。笑う力がなくなり、ただスマホのショート動画をぼんやりと流し続けてしまう。

仕事場は暖かいから、そこだけはなんとか耐えていられるのだけれど、家に戻るとすぐに、、自分でも「ああ、また来たな」と思う冬のやつ。

 


■この冬に試したこと


◆着る毛布寒さが深くなると、今年も着る毛布が人民服のようになりました。その下にフリース、足もとは靴下。完全防備で、ようやく平常心に近づける装備。

 

◆コーンスープ

あたたかいものを、とコーンスープを買った。おいしい。これはあくまで30分ほど動けるようになるだけの応急処置。体の芯はまだ冷たいままで、根本的には届かなかった。

 

◆お茶

お茶は少し優しい。コーヒーよりも、なんやかんや良い。コップから出てくる湯気のにおいで、心がほぐれる時がある。

あとさ。お茶漬けをさらさら流し込むと、体が「あぁ、五臓六腑にしみわなるぜ」と反応する。

 


 

 

 

 

◆寝る

この時期、どうしようもなく眠いときは、ただ眠るしかない。起きられない。

平日も休日も、家族に迷惑をかけてしまっても、とにかく眠気に負ける。会社でも。昼休みも、通勤時間も、寝られるなら寝る。残業の日は、帰宅から就寝までのRTAである。

「おや、もうお布団かい。」「そうだよ、ぼかぁもうお布団にいくぜ」

 


 

 

 

 

◆音楽

寝る前に音楽を聴く時がある。寒い時期にはジャズ、というここ数年はの流れがあるので、「そろそろジャズの季節か」なんて思いながら聴きはじめるためか、好きで聴くというよりは処方箋のような気持ちで音楽を聴いてしまい、音楽なのに、ちょっと楽しくない時もある。

 


◆カイロ

日中はカイロをお腹に貼って、「私はお腹にカイロなんて貼っていないですよ」という顔をして仕事をしているよ。昔はこんなもの無くても良かったのになぁ。貼らない日なんて考えられないほど、今の自分には必需品となっている。インナーにこっそり仕込むが、カイロをはったところだねドラえもんのポケットのように目立つので、「どうか、今日もばれませんように」と思いながらおなかにカイロをつけている。

 

◆風呂

詰まるところはこれだよね。風呂。

最寄りの銭湯まで車を出して、体温をなんとか取り戻すのが、なんやかんや、1番きく。徒歩で行けたらもっとよかったのだけれど、今の家の近くにはそれがないのが惜しい。

湯船に3分入っては、ふらりと出て立ちくらみ。

また3分入って、また立ちくらみ。

それを何度か繰り返して、ようやくサウナに5分。

帰りは20〜30分、椅子でぼーっとしてからでないと運転ができない。

 


 

 

 

 

◆カップ麺

これは元気がちょっと戻ってきたころ。

晩ごはんを食べたあとなのに、銭湯に行ったら無性におなかが空いてしまったので、カップ麺を食べる。「…うまいなぁ」と思える感覚が戻ってきたと感じた。

 

 

◆チョコレート 

先ほどのカップ麺と同時にチョコも買ったのだよ。すこし元気がでたその勢いでチョコチップスコーンを作った。甘いものは、不思議と気持ちの底に届く。そもそも、スコーンを「作ろう」という気力が戻った時点で、ああ、今シーズンの底は抜けたのだと思った。

 


 

 

 

 

◆カレー

番外編。CoCo壱の2辛。

おいしいけれど、おいしいのだけれども、自律神経が仕事放棄したみたいに汗が止まらなくなる。

汗をかいたあとは全身が冷え切って、半日ほどお腹も痛い。

 

 

 

■これからの冬に向けて

きっと、毎年同じように冬はやってくる。

ならば、そろそろ「寒さのはじまり対策キット」を準備しておいた方がいいのかもしれない。

着る毛布、カイロ、あたたかいお茶、それからスープ。沈みきる前に、なんとかして維持する方向に持っていきたいものですね。

20251101

先ほどコーヒーを淹れようと思い、粉とお湯を準備した。お湯が沸いたタイミングで立ち上がった時に、コーヒーの粉をこぼされてしまい、糸がキレたような感覚になった。今日はもうなにもしなくない

20251027_PCあれこれ

windowsの「one driveを使う にチェックしましたね?容量が足りないですよ?サブスクリプションに登録されますか?」というやりとりにうんざりしたので、Debianをインストールすることにしました。

 


タイピングができて、メールができて、時々ビデオ通話ができるとなお嬉しい(まぁ電話があるから別に必須ではない)、ぐらいの用途だと本当にOSなんてなんでもいいと感じます。だけど、その「なんでもいい」は自分の意思で決めて、気に入ったものを使うことにしようとは思いました。

 


今後やること

・日本語入力できるようにする

・surfsharkいれる

・python入れる

・外付けSSD、追加メモリ買う(気が向けば)

 


挙げてもこんなもんか。

正直、このパソコンにはこれ以上お金をかけず、今後小型デスクトップでも足しにしたいという思いのほうが大きい。使えればよいんだー、という感覚を大切にしたいです

 

 

一方でMacBookもあるが、これをどうしようか悩む。使い勝手はめちゃくちゃ良い、真っ白なコピー用紙が無限にでてきて使い放題!しかも「あの時なんてメモしたっけオレ」を一瞬でもってこれる、ウーバーのCMくらいの握力で掴み取れる感覚はMacBookのほうが圧倒的によさそうではある。期限は決めているので、これは飽きたら期限を待たず、早いうちに手放したい。確かに便利ではあるが、便利であるだけで、買う前に思っていた「MacBook持っているオレかっこいい!」みたいな状態にまで持って行けなかったので正直…という感じでした。

20251025_丁寧な暮らし

貧乏人には趣味なんて許されていない。

そう思っている。いや、正確には「許されていない」と言い聞かせている。

趣味には時間が要るし、金も要る。どちらも足りない。なので、私ののやっていることは「趣味」ではなく、生活の延長にある、最低限の実験みたいなものである。

下記の現象は、いわゆる丁寧な暮らしのように語ることもできるのだろうが、行動の背景にある思考はただ日々を生きるためにある。

 


ヨーグルトをつくる。

ヨーグルトメーカーのスイッチを入れて、菌が働くのを待つ。時間と温度を変えるだけで、味が変わる。牛乳から豆乳にしてみたり、違う菌を混ぜたりする。それだけで少しだけ、生きている感じがする。同じことばかりしてると人間は弱くなる。だから菌も、作り方も、考え方も、ときどき変えた方がいい。

 


パンも焼く。ベーグルはいい。構成がシンプルで、工程も少ない。焼きたてを噛むと、内部のもっちりした抵抗が歯に伝わる。作って、食って、満足して、それで終わる。また次を求めるような、安っぽい欲望など生まれない点が、よい。

 


そういえば、時々あえて遠回りをする。ポテトチップスを電子レンジで作るとか、米を鍋で炊くといった形である。油で揚げたり、炊飯器を使うと比べると、効率は悪く時間もかかる。たが、その「時間」が欲しいのかもしれない。ジャガイモを薄く切って並べて、オーブンで焼き、またやり直す。その繰り返しの中で、揚げるという工程の合理性を再確認する。

米は鍋で炊くと旨い。おこげができて、香りが立つ。米を炊いてキッチンに立っている間、シンクを磨いたりして過ごす。面倒くさい。キッチンが汚れているので、それを淡々とマシな状態へ持っていく。このような手間をかけることで、生活を自分の中におとしこんで生きていくしかない。

20251012_サバイバル装置

以下は、架空の企業の話です。書いているものの立場は、ただの観測者です。

 

海外拠点に対する認識。海外拠点はサバイバル。

 

海外赴任→日本の労働基準に守られない、経営陣などの理不尽に対する耐性がないと生き残ることができない。などなどの環境にある。必然的に「なんとかする」しかない状況で生き残れた人が、マネジメント層となる。マネジメントの語源通りである。ある種、戦場帰りの兵士が将官になる構図にも似ており、組織内進化として見ると非常に合理的なのかもしれない。

 

海外赴任者間での食事の機会は現地だと必然的に増えるし、仕事終わりもまた、治安の面で赴任者同士で取る機会が増える傾向にあるみたい。これに加えて、ひと昔前ではハラスメントもとい可愛がりも横行していたとかそうでないとか、ということを耳にしたりもする。さらに、週末のゴルフなどの行事も盛りだくさんであり、個として生きることはできそうにもなく、集団の中にいる何かという感覚すら覚えそうである。

 

上記環境下での生存に最適化された人々が「なんとかして」くれているので、全体として繁栄しているという状況なのだろう。組織としては短期的に安定しますが、長期的には多様性や創造性を削ぎ落とす方向に進むリスクもあると、個人的には感じるが、その辺はどうなのだろう。マイメロだからわかんない。

 

赴任者達は、帰ってきたとて管理者層という「心臓を捧げよ」の世界で生きることを強制され、企業の中で生きることが生活の前提になっていく。勿論、赴任により得られる報酬はあるとは聞く。金銭面は勿論、住居や身の安全(送迎的な意味で)、ポジション、などなど。こういう生き方をしてみたかったが、それを受け入れられる自分はもはや自分ではないんじゃね?と、捻くれている自分は認識している。

 

そもそも、ストレス耐性、コミュニケーション能力などを学生時代のうちから培ってきている人のほうが赴任者として採用されやすい傾向にある。このため、これら性質を獲得したゴリゴリ体育会系の方々は、赴任者(候補)リストとして名を連ねるのだろう。知らんけど。海外赴任の候補者を探す時に、「仕事を回すことだけできても、赴任が務まるわけではないよね」という話が出てくるのがこの辺の世界なのだろう。得られる体験はプライスレスであるとはいえ、「話をきく限りの海外工場で求められるスキル」を天秤にかけると、少なくとも私には務まらない。

 

ただ、もしもこのスタイルで働くのであれば、むしろ自分で会社を興すというほうが良いんじゃないかなぁと思う。いずれにせよ、働く前の段階から「どのようなキャリアを築きたいか」を考えておかないと動くことはできないのだろう。

 

などということをぼーっと考えていました。そもぞ、若さを失ったじじいにはそもそもそんな機会は巡ってこないので、関係のない話。

こういうことが念頭にあるねじ曲がった人間が、こういった風土の中でどう生きていくのかについては、またどこかで書きたいです。