2023年の反省 散文

反省
現職を辞す、転職する→◯
家庭環境の改善→△、居住環境は◯
情報を食べさせられている気がする
子供と過ごす時間を昨年比で1209%にする→◯、ただし2024年は怪しい
転職先で結果を出す→✕、業界知識不足、
英語学習、speaking中級→✕
自転車→✕✕


自身が築きたいキャリアとの乖離が大きくなった、
管理と見せかけた総務関係の業務の押し付けがひどかった
これに尽きる。悪夢をみることはなくなった
会社の成長方向性へ賛同できなかった、
収益体制を考えると、製造装置の改修にほとんど手を入れられていないのはやばい

子供を育てていく環境(教育面)、
のバランスを鑑みて、実行した
退職→転職を実行したので、後はこの選択肢が正解であるように行動するだけ、ただこれがまたなかなか難しい


習い事(教育)は良いのだろう、数が多い
ただし、(私が子供を)送迎する時間がとれないのが想定外


通勤時間が長くなった、乗り物酔いが収まらない
移動時間に何かできるのだろうか
その分時間外労働は減ったためかなり心身はラク
運動不足ではある


子供の習い事への送迎等は妻にたよることになるが、致し方ない
週末の通信教育等の面倒をみるとかで手打ちにできへんものか


ごはん処が多いが、正直なところ、味の違いは私にはわからん
ただ視覚的な情報を押し付けられている感覚が非常にしんどい
妻子が満足であればそれでよいのかもしれない
そういった意味では、少し外食の頻度を上げてみてもよいのかもしれない
結局のところ、休日の朝に、自宅で食べるトーストとコーヒーが最も美味しい気がする


広告が多い、目がしんどい
外にでるのに気を使う街だ
作業着ででてコンビニにタバコを買いにいくことが
難しいと感じてしまう環境だ
乗り物、なんだかんだで車社会
2023年の日本はなんだかんだで車社会
我々の生活はモータリゼーションの上になりたっておる


英語
自宅での学習;家族の理解がない、以上
なんとか業務中に英語を使える環境に身をおいたので、
昼休み等を利用して自己研鑽に励もう

 

自転車
別に記述

時間がたりないねぇ

「あぁー、どうしたら良いかわからん」という状況が少し続いている

時間が足りないといつも嘆いている、いや別に嘆いてもいないか。ただ消耗しているのだ

 

なぜ時間がないかを少し考えるのにも時間が必要だと思うのだが、そもそもなぜ時間がないのかを考える時間がなぜとれないのかもよくわかっていない感覚である。

切り株と斧的な話に近いのかもしれない。

文章にはなっていないが、こういうのは散らかっていても、ある程度アウトプットすると少しラクになるはず。

 

時間の種類

睡眠時間

家族と過ごす時間

家事

通勤時間

就業時間

時間外の労働時間

自由時間

 

体感的に最近の自由時間が少ないと感じるのはなぜか?

あるはずなんだけれど

時間外労働もかなり減ったはずなのに

 

 

通勤時間が伸びたから?時間外労働で思考が奪われるから?あるから?

この時間に考えたことをまとめるとかしたいが、これがなかなかうまくいっていないようだ。

 

家に帰ってきた瞬間に色々と話しかけられても頭に入ってこないし、それらにレスポンスするのが最近の私にはどうにも難しいのだろう。

会社と家の往復の間に、他の場所がほしいと感じる。そういう場所があったからといって、すぐになにか変わるわけではなさそうですけどね。

 以前は車通勤だったので、これが息抜きになっていた側面もあるのだろう。もし万一のことがあったときは、労災的に微妙なところがあるけど、

今年になって自転車にのっていた高齢者を轢きかけたのが原因で車にのるのがすこし嫌になった。そのため今は公共交通機関を使っているが、移動手段と時刻が決まっているのもすこし息苦しい。

 

あと、「この日は自由にする日」と決めていたのが、理由はいろいろあるにせよ土壇場でキャンセルになってしまうパターンがつらかろうな。

家族の体調不良とかは致し方ないところありますしな、どうにもならないことを考えてもしんどいだけなので考えないようにはするけれども云々

 

 

あれか、ショッピングモールとかにいっても、自分の買い物をする時間が全然とれないとかそういうところか。そういうところや

 

思えば最近、子供の見たいところなどを優先すると自分のところは後回し後回しとなり、なにか買い物がしたかったが故にわざわざショッピングモールまでいったにもかかわらず何故か自分がほしかったものはなにひとつ買い物できておらず、家に帰ってからそれらを求めAmazon.co.jpを徘徊するという謎の行動をしている気がするな。

ただただショッピングモールで情報だけ食わされ消耗している。結果として、貴重な週末のうち一日を消費しているだけになっているのではなかろうか。

それならばそもそも家で発注だけ済ませて、ショッピングモールまでの移動時間分をクランクを回せば多少の気晴らしにもなるだろうに

自転車のくだり続き

趣味に関していえば、私は自分でガチャガチャやりたい性分なのだろう。元となるスタンスがそうなのだから仕方がない。

「整備はショップに全て任せて、自分はロードバイクを乗り倒してタイム向上に全力をそそぐ」という方もおられる。スタンスが違う。

 

私は、ロードバイクDIY精神の塊で運用しようと決めた気がする。そんなことをいう一方で、電動の変則機構やらディスクホイールやらには全くついていけなかった。感性が衰えてきたため新しいものを受け付けにくくなったり、金やら時間やらを自転車に割けなくなってきた。

個人的な意見として、最先端の技術を維持整備するのは楽しそうである一方、趣味レベルの人間が得られる恩恵は薄そうだと思う。たとえどれだけ良い性能を有する自転車を得たとしても、快適な状況で移動するという面においては、公共交通機関や車のほうが全面的に勝つ。たまーにSNS上で、東京ー大阪のキャノンボールされる方を拝見して「おぉーすげー」と思うけど、私は新幹線で移動したい、ラクなので。

 

ロードバイクで移動しようと想定している距離が、人よりも小さいんだろう。念頭に移動手段がやってくる。ママチャリより便利で、原付よりは疲れる、この間にあるという感覚から抜けない。

 

もはやロードバイクを移動手段としてしか捉えていない以上、コスト面などの面から枯れた技術で構成したほうがよいのではなかろうか。

部品自体にかかるコスト、整備技術の学習コスト、総じてコストが低そうだ。

簡易な構成であってメンテナンスを自力で対応できるような自転車が望ましく、例えばフロント2段リア8段であって変速機構が簡素なものが良さそう。もはやフリクション式のダブルレバーとかにしたい。たまにホイールの触れ取りとかができればもうそれで十分ではなかろうか。

振り返り、主に自転車関係

¶ 前提

¶ 環境の変化

¶ 当時の構成

 

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¶ 前提

当時、クロモリフレームのロードバイクに無性に乗りたかった。なんとなく欲しいフレームがあったので、まずフレームだけ買った。

1/1のプラモデルを組み立てる感覚で、部品を買い集めて組み付ける感覚を味わいたかった。

ついでに近場の移動に使えれば、車をいちいち使わなくて良いよね、というくらいのモチベーションであった。

 

¶ 環境の変化

婚姻、子を授かる、家族中心の生活になる。

組み立てた自転車は輪行バック内に格納され、部屋の隅から動くことはなかった。

それでも無性に自転車に乗りたかったので、ローラー台を実家からとりよせたりして楽しんでいたが、実走機会は取れなかった。

平日は多い業務を片付けるために会社でほとんどの時間を割き、休日は家族でどこかへでかける機会が多かったため、自転車にのる機会とれず、乗るのをひとまず諦めた。

 

¶ 当時の構成

クロモリフレームでコンポは11速の105、ホイールはRS21というのにしよう。

・フレーム

→クロモリフレームにした。

軽さなどを求めてカーボンフレームを検討したが、トルク管理がだるそうとか、関連パーツの規格が特殊とか、そういうところが好きではなかったので辞めた。比較的僻地に住んでいたので、その地域では実質一択しかない、地主が経営するプロショップとの付き合いとかが面倒臭そうだったので、諦めざるを得なかったというのが1番大きい。

基本的にカーボンフレームは「高い性能をひととおり満足したら使い捨てのポイ」というイメージが付きまとう。当時の私はそこまで自転車にのめり込める気もしなかったし、カーボンフレームはやめ、クロモリフレームにした。アルミはクロスバイクでそのうち買うだろうと思ったので却下した。

 

コンポーネント

当時、多段化が進む中であった(今もかな)。上位グレードとの互換性を考えると、105の11速がでたタイミングでは、これが最良だったと感じた。そういうのはあったが、円高+海外通販からコンポを買うと安く揃えられたというのが1番大きかった気がする。結局は資金面。

8速のコンポーネントを揃えるのとあんまり変わらなかったんだよな、確か

 

・ホイール

どうせかいなおすだろうし、安いのでいいんだけど、クロモリフレームにいわゆる鉄下駄は結構重く感じそうだった。なので、RS21というのにした。アマゾンのおすすめにでてきたからだ。

振り返れば、当時住んでいたところは平地ばかりだったので、鉄下駄でも別に問題なかったかもしれない。